人生記憶

数あるサイトの中から訪問感謝いたします。私の人生の見つめ直し記録・記憶です。

中学校時代

 

私は1-1組に入学した。

周りは同じ小学校出身の子もいるけど、

地域の小学校5-6校くらい集まっており、

 

小学校の時のクラスは2組までしかなかったので、

6組まであるのが信じられない程だ。

 

当時はガラケーの時代だ。

皆、中学入学と同時に親が買い与えることが多い。

私の姉は、高校生あるいは、大学生だったので、当たり前のように

携帯電話を持っていた。

 

のちにでてきたスライド式のガラケーをもってると、なんかスマートでカッコいいなと思ってた。

 

両親が姉が高校に入ってから、携帯電話を持たせたので、

私も中学時代は携帯電話なしで、過ごす予定だった。

 

周りは持っている子が多かった為、PCのeメールや、母親のケータイアドレス

を使ってやりとりしていたように思う。

 

なかなか疎外感もあったが、他にも私みたいな子どもはいたので、

あくまで、親の教育方針次第なんだなと思った。

 

私の交友関係は、相変わらずだった。

依存関係を続ける、A子だけ。

 

A子とは1年生時にクラスが離れた。

 

1年次の担任は、ソフトな雰囲気を持った男性の先生で

クラスを家族のような暖かい雰囲気のクラス運営を行いたいと話していた。

 

部活は、私は美術部や、吹奏楽部など、文化部を希望していたが、

A子が文化部はつまらないというので、A子に誘われて体操部に入った。

 

私は運動がそんなに得意ではないけど、

A子の親がママさんの体操教室に属していたので、

私もたまにその教室に行かせてもらっていたから。

 

母は心配していたらしい。

 

体操部の顧問は、姉が中学生の時にセクハラ問題を起こしていたらしい。

その噂が瞬く間に広まり、当時その部活は新入生が12人くらいいたのだけど、

半分の6人くらいがその噂で辞めてしまっていて、私もそのタイミングで辞めた。

 

ただの噂だったのか、本当にあった話なのかは未だ不明だ。

 

一方クラスでは、お弁当の時間のあと、お菓子交換などやっていて、

(本当はいけないが、担任が大目に見てくれていた)

同じ、漫画やアニメ好きな子と友達にもなり、なかなか平和にやっていたと思う。

 

A子とは家が近かったので、一緒に帰るだけ。

下校時だけの付き合いになっていた。

A子はA子で、クラス仲良くやってたと思う。

 

私は、お弁当を忘れるではないけど、朝ぎりぎりに学校へ行くので

学校の購買でパンが売っているのだが、買えないこともあって、

そのときは先生が少し分けてくれていた。

本当に申し訳なかったと思う。

 

朝練も行くけど、朝苦手で、必死なので、

顔が青白い、「顔が死んでる」と

同級生に言われていた。

 

親もお弁当がつくれなくて、父親が昼食代を

机の上に置いてあることが

多かったので困ったことがある。

当時、持ち込みがOKなのであれば、スーパーかコンビニであらかじめ

学校で食べるお昼を購入しといて、もっていけばよかったと思う。

 

母も、唐突にお弁当がつくれないということが多かったので致し方ない。

 

1組はクラスマッチで優勝したりして、なかなか良いクラスだった。

中学校3年生のうち、1年生だけでも良い思い出ができてよかったと

今は思っている。

 

私は、正直、大学生時代や社会人時代、小休止中の現代もずっと不登校だった自分にコンプレックスを感じていて、

集団でうまくやれないのは、中学校を不登校したから、

集団の訓練が足りないからだと思っていたし、

 

勉強面でも、中学の内容が抜けているので、高校は進学したけど、

やっぱり、皆と足並み合わせて学ばなかったからかなと思うことがある。

 

それと、学校に行かなくても勉強は家や別室でもできるけど、

友達付き合い、なにげにないおしゃべりや、お弁当を一緒に食べる。

一緒に帰るなどの友達付き合いは大人になってから長期にわたってはできないので、

すごく貴重な時間だったんだなと思う。

 

ちなみに来月から夜間中学へ通う予定だ。

 

不登校になったきっかけは、次の記事で書く

 

Ruriha