番外編:不登校専門家庭教師との出会い
不登校になって、
両親は悩んで、
などに相談していた。
私は別室登校もするけど、
勉強面で遅れがあるから、
勉強面どうする??って、両親は悩んでたみたいで、
不登校児、専門の家庭教師と、母が連絡をとっていた。
中1の後期くらいから、通い始めた、個人塾にも行ったり行かなかったりしてたのだが
両親が月謝を払い続けていた。
塾側から、「月謝を来てもない子の分は、受け取れない。返金しましょうか?」
という電話もあったそうだ。
その先生は、私が数学の問題が解けなくて、
頭を叩いてたら(そんなに激しくは叩いてない)
先生「脳細胞が、壊れてシナプスが減って、余計に馬鹿になっちゃいますよ」といっていた。
私も変わった子かもしれないが、先生も
変わった人だなぁ。と思っていた。
親は、私にどこか居場所が必要と思って両親が月謝を払ってくれていたけど、その塾は退塾した。
不登校専門の家庭教師を親が見つけてきた。
その家庭教師の男性は、
少し遠くに住んでて、車で1時間かけて、
来てくれていた。
お月謝は高かったらしい。
とても、仕事熱心な人だった。
初対面の時、私が、全然、人見知りをしない性格なので
先生は、「るりはちゃんは、不登校には見えない。しっかりしてる.ちゃんと、先生とも会話してくれるし、行っても家や部屋から、出てきてくれない子や、暴言吐かれたり、親子喧嘩を目にしたりして、勉強まで進まなくて、大変なんだよ。話して信頼関係を深めるだけの日もあるよ」
と仕事の愚痴をこぼしていた。
先生も大変なんだなと思っていた。
そして、その家庭教師の人のお兄さんと私の誕生日が同じだった。
その家庭教師の人のお兄さんはもうすでに
他界してしまっている。複雑な事情があったそうだ。
つくづく、人間って、挫折して、ポキっと折れてそのままいっちゃうことってあるんだなって思う。
(私もそうだ)
ある目標が崩れ去ったらもうだめだ。と思うらしい。
私もそう思ってしまう。
曽祖母の口癖で、
「もうだめだと思ったとき、瀕死の力で、もう一歩だけ踏み出せ。そしたら見えてくる世界が変わるから」といった。
さすが戦争経験している世代は強いな。
本当の苦しみや無念さ、悲しみを経験してるから言える言葉なんだろうなと思った。
時間だけは金持ちも貧乏人も、この世で平等な概念だから、時間だけは過ぎ去っていく。
だから若さは尊いんだろうと思う。
産まれたいと思って産まれるわけじゃないけど、
死にたいと思って、死んでしまう人と、そこでとどまれる人がいて。
生きるも死ぬも自分で決めていいけど、
死んで、これでよかったのかな?って思っても
もう死んでるんだから死んで正解か、不正解かなんて、答えなんてないよね。
先生は、苦手な数学、国語と英語は私は文系だからそこそこできた。その3教科を熱心に指導してくれた。
よく、「喋りながらやると、間違えるから、解いてから喋って」や
甘いものやお菓子が好きで、
「チョコパイ食べるのはいいけど、食べすぎると太るよ」とか、「チョコパイ食べるのはいいけど、この問題、正解してからにしてよ」と言われた。
最初の頃、テストだけ別室で受けたりした。
不登校専門っていってたけど、昼間は、その家庭教師の仕事、夜は学習塾を開いていた。
数学は解けたら嬉しかった。またその達成感を味わいたいと思う。
国語も、私は論文や古典が苦手だったけど、
少しだけ、好きになれた。
英語は、ひたすら文法を覚えて問題を解いた。
その家庭教師の人は、週に一回だったけど、
その先生と出会えて少し自信もつけられて、よかったと今は思っている。
大人になって、不登校の対処の仕方の記事を見た。
「まずは家族全員、笑顔で明るく、円満でいること.美味しいご飯を家族揃って食卓で食べること」だそうだ。
動じず、それがどうした。という態度でいたら自然と子どももまた学校に足が向くようになってくるというもので目から鱗だった。
そんな基本的なことでいいんだなと思った。
やっぱり家庭環境や、精神衛生って大切だ。
ネガティブなことは、ネガティブを呼んで
伝染してしまうんだなと思った。
親や大人が楽しそうに生きてれば、子どもは上手く育ってくれるらしい。
ポジティブに生きていてもいつ、ネガティブに感染してしまうか、わからないけど、
それの乗り越え方を知ってるといいのかなと思う。
Ruriha