人生記憶

数あるサイトの中から訪問感謝いたします。私の人生の見つめ直し記録・記憶です。

不登校時代に見て影響を受けた映画

もしも、もしもだけど、

 

私が不登校時代を語って、今不登校に苦しんでいる子どもとか、

いたら、少し役に立てたらいいかなって思って

しばらくは、不登校時代にはまってたもの・ごとを

書きますね。

 

まずは、私は、この映画をみて元気になりました。

 

 

 

西の魔女が死んだ梨木香歩

 

ストーリのあらすじ

 

ワーキングマザーの母と単身赴任中の父と

都内で暮らす「まい」という中1の女の子

 

中学にあがってすぐ、学校に行けなくなった。

夏休みを利用して母方のイギリス人の祖母のもとで

1ヵ月間暮らすことにする。

 

ここから下はネタバレも含むので視聴したいと思ってる方は

お気をつけくださいませ。

 

ハーフの母自体も、ハーフだからって周りになじめず、浮いたりして

学生時代はつらかったそうだ。

なのでまいにも強く生きてほしいと思っている

 

以前NHKで特集を見たのだが、ハーフだからうらやましいとか

雑誌で「ハーフ顔」とかって特集を組むのは避けた方が良いそうだ。

 

ハーフでも英語圏ばかりではなく、フィリピン、アジア、アフリカ、ブラジルなど、

いろんな国の子どもが日本にいるのだから。

差別につながるらしい。

 

日本にすむ外国人、ハーフ、クウォーターは日本の文化で生きてる

日本の文化(特に学校の文化)に入ろうとしている人にとっては、

ハーフというアイデンティティは日本で生活するには邪魔らしい。

 

ハーフとかからかわれると傷つくらしい。

私たちが外国にいって、「イエロー」とか「アジア人とは仲良くしない」とか

いわれたら傷つくのと一緒だ。

 

その人の外見ではなく、内面。個性を認めて付き合おう。

 

ハーフの母が夫に電話して、まいの事を

「感受性が強くて育てにくい子」という

 

まいはその言葉を自室できいている。

 

このシーンを見て思ったのは、一つ屋根の下に住む家族は、

両親のけんか、子どもに対する一言。意外と聞いて考えたり感じたり

しています。なので、なるべく本人の自己肯定感を下げるような

マイナスな発言。は避けたほうが無難で夫婦の話し合いも、

子どもに極力きかれないように気を配る必要があるかなって思います

 

また、父親単身赴任だったので、母娘関係がうまくいってないと

密室で、辛い思いをするかなって思います。

 

私の場合は、父親単身赴任でも、

曾祖母とか、姉、祖父がいたので、

母とうまくいかなくても逃げ場がありました。

 

そんなことで、祖母のいる田舎のイングリッシュガーデンみたいな丘に

いくことになった、まいです。

 

祖母に

「魔女になるには、基本的な生活習慣。が大切。1日のスケジュールを紙に書き出してその通り実行する」

 

魔女修行を提案されます。

 

苦手なことも、魔女修行と思って取り組んだら楽しいかも。

って思いました。

 

私も祖母に口酸っぱく「夜更かしはだめ早寝早起き朝ご飯」が大切

っていわれてました。

 

それを実行できるようになったのは、大学生で一人暮らしはじめた

くらいですかね・・・。

 

今も、夜型ではあります。

夜型人間もいていいんだと思いますが、

自然の生態系にはしたがったり、夜型人間は太りやすいので

健康に気をつけないとですね。。。

 

この祖母との魔女修行で、まいは少し強くなり、父親の単身赴任先で

母親と3人で暮らすことになって、まいは中学を転校。中学を無事に卒業します。

 

祖母は、病気を隠しており、劇中で亡くなってしまいます。

 

祖母はまいに、「死んだら肉体とおさらばして魂だけ残るのよ」

 

といいます。

 

祖母の魂はまいと一緒です。

まいの成長を祖母は見守ってくれているでしょう。

 

最後、母親も泣き出すところが、

クールで冷徹そうに見える母ですが、母も血の通った人間なんだな。

と感じさせる。名シーンです。

 

 

私は当時、この映画で、少し見終わった後、元気になりました。

 

不登校で悩むのは自分だけじゃなくて、みんな悩んでるんだな。

と思えたからでしょうか。

 

少し昔の映画ですがよかったら見てみてください。

 

Ruriha

 

 

 

 

番外編:不登校別室登校エピソード

 

私は、図書館に併設されていた、小学生〜中学生が通う地域の、

不登校児を受け入れている教室には行かずに

 

学校にある、別室、(保健室ともまた違う)

カウンセリングルームがある、隣の部屋に

よく通っていた。

 

そこには、同じく、不登校の男の子がいた。

その男の子は、1つ学年が上で、

中3生だった。

 

その生徒が偉いな.すごいなと思う所は、

高校は、調理科がある高校に行きたいと思ったらしく、

別室に通いながら、出席日数ももらって、熱心に勉強していたところだ。

 

その子の担任の先生も、うつで休職とか、

病気で入院して、亡くなる。とかそのときの中学校は、パニックで暗い話題に溢れていた。

 

 

その中でも、別室登校の、

見回りの先生は、

介助の先生と、社会の先生だった。

 

社会の先生は、新卒の若い先生で、

臨時職員か、中途採用職員だった。

 

その先生は、私に

 

「この中学校おかしい!」と

愚痴をもらしていた。

 

私が、

「何でなんですか?」

 

と聞くと、

 

「教員専用のトイレでみんな隠れてタバコを吸ってるから」

 

というのだ。

 

それと、仕事内容も、

「2年生の社会科の授業と、不登校児(別室登校児童)

の勉強を見たり、話し相手になる仕事」

 

だから、

「こんなの、ゆるすぎない?」

 

といっていた。

 

今思えばは、ゆるいし、それで、ちゃんと給料でてるなら、そんなに悩むこともないと思うけど、

真面目な人だったんだなと思う。。。

 

けど、ほかの先生が隠れてタバコ吸いに行っていたり、コミュニケーションが取りづらそうだったのは、可哀想だったなと思う。

 

別室には、漫画もたくさんあって、

不登校児じゃなくても、

休み時間に出入りできるようになっていた。

 

私は、漫画で

「光とともに」

天使なんかじゃない

を読んでいた。

 

私は、なんだかんだで矢沢あい作品が好きだ。

 

光とともにも、お母さんがすごく頑張ってるし、

周りの人との関わりがすばらしいなって思う。

 

あくまで、漫画だから現実は上手くいかないことも多いけど、勇気をもらえる。

 

Ruriha

 

番外編:不登校専門家庭教師との出会い

 

不登校になって、

両親は悩んで、

県の教育委員会スクールカウンセラー

などに相談していた。

 

私は別室登校もするけど、

勉強面で遅れがあるから、

 

勉強面どうする??って、両親は悩んでたみたいで、

 

不登校児、専門の家庭教師と、母が連絡をとっていた。

 

中1の後期くらいから、通い始めた、個人塾にも行ったり行かなかったりしてたのだが

両親が月謝を払い続けていた。

 

塾側から、「月謝を来てもない子の分は、受け取れない。返金しましょうか?」

という電話もあったそうだ。

 

その先生は、私が数学の問題が解けなくて、

頭を叩いてたら(そんなに激しくは叩いてない)

 

先生「脳細胞が、壊れてシナプスが減って、余計に馬鹿になっちゃいますよ」といっていた。

 

私も変わった子かもしれないが、先生も

変わった人だなぁ。と思っていた。

 

 

親は、私にどこか居場所が必要と思って両親が月謝を払ってくれていたけど、その塾は退塾した。

 

 

不登校専門の家庭教師を親が見つけてきた。

 

 

その家庭教師の男性は、

少し遠くに住んでて、車で1時間かけて、

来てくれていた。

 

お月謝は高かったらしい。

 

とても、仕事熱心な人だった。

 

初対面の時、私が、全然、人見知りをしない性格なので

 

先生は、「るりはちゃんは、不登校には見えない。しっかりしてる.ちゃんと、先生とも会話してくれるし、行っても家や部屋から、出てきてくれない子や、暴言吐かれたり、親子喧嘩を目にしたりして、勉強まで進まなくて、大変なんだよ。話して信頼関係を深めるだけの日もあるよ」

 

と仕事の愚痴をこぼしていた。

先生も大変なんだなと思っていた。

 

そして、その家庭教師の人のお兄さんと私の誕生日が同じだった。

 

その家庭教師の人のお兄さんはもうすでに

他界してしまっている。複雑な事情があったそうだ。

 

つくづく、人間って、挫折して、ポキっと折れてそのままいっちゃうことってあるんだなって思う。

(私もそうだ)

 

ある目標が崩れ去ったらもうだめだ。と思うらしい。

私もそう思ってしまう。

 

曽祖母の口癖で、

「もうだめだと思ったとき、瀕死の力で、もう一歩だけ踏み出せ。そしたら見えてくる世界が変わるから」といった。

 

さすが戦争経験している世代は強いな。

本当の苦しみや無念さ、悲しみを経験してるから言える言葉なんだろうなと思った。

 

時間だけは金持ちも貧乏人も、この世で平等な概念だから、時間だけは過ぎ去っていく。

 

だから若さは尊いんだろうと思う。

 

産まれたいと思って産まれるわけじゃないけど、

死にたいと思って、死んでしまう人と、そこでとどまれる人がいて。

 

生きるも死ぬも自分で決めていいけど、

死んで、これでよかったのかな?って思っても 

もう死んでるんだから死んで正解か、不正解かなんて、答えなんてないよね。

 

 

先生は、苦手な数学、国語と英語は私は文系だからそこそこできた。その3教科を熱心に指導してくれた。

 

よく、「喋りながらやると、間違えるから、解いてから喋って」や

甘いものやお菓子が好きで、

「チョコパイ食べるのはいいけど、食べすぎると太るよ」とか、「チョコパイ食べるのはいいけど、この問題、正解してからにしてよ」と言われた。

 

最初の頃、テストだけ別室で受けたりした。

 

不登校専門っていってたけど、昼間は、その家庭教師の仕事、夜は学習塾を開いていた。

 

数学は解けたら嬉しかった。またその達成感を味わいたいと思う。

 

国語も、私は論文や古典が苦手だったけど、

少しだけ、好きになれた。

 

英語は、ひたすら文法を覚えて問題を解いた。

 

その家庭教師の人は、週に一回だったけど、

その先生と出会えて少し自信もつけられて、よかったと今は思っている。

 

 

大人になって、不登校の対処の仕方の記事を見た。

 

「まずは家族全員、笑顔で明るく、円満でいること.美味しいご飯を家族揃って食卓で食べること」だそうだ。

 

動じず、それがどうした。という態度でいたら自然と子どももまた学校に足が向くようになってくるというもので目から鱗だった。

 

そんな基本的なことでいいんだなと思った。

やっぱり家庭環境や、精神衛生って大切だ。

 

ネガティブなことは、ネガティブを呼んで

伝染してしまうんだなと思った。

 

親や大人が楽しそうに生きてれば、子どもは上手く育ってくれるらしい。

 

ポジティブに生きていてもいつ、ネガティブに感染してしまうか、わからないけど、

それの乗り越え方を知ってるといいのかなと思う。


Ruriha

インターバルで中間なまとめ風な記事。

 

このブログを9/27日に

開設してからずーっと、毎日

自分の生きた歴史?自分史を書くことに

力をいれてきました。

 

不登校のきっかけ記事は結構エネルギーを使いました。

 

「お前、そんなことで不登校になったの?」

とか

不登校なんて今はたくさんいるから、気にしなくていい」

とか

「深刻に捉えすぎてる」

って思われているかもしれません。

 

発達障害のこともです。

 

発達障害があっても、人は工夫して、努力して、生きていくこと、人並みな人生を歩いていくことはできると思います。

 

失敗からいろんなことを学び、対処して進んでいけば、いつか形になるのかなぁ。なんて思います。

 

もともと、この病名が出る前は、ちょっと変わった人くらいで済んでいたし、農村で働く人が多かったので問題視されなかったんだと時代の歴史から学びました。

 

最近は、ファッション発達障害というのもあるそうですけど、本気でいろんなことに悩んでる私のような人のことも、 

ファッションで片付けられたらショックです。

 

海外では、国によってもいろいろ捉え方は違いますが、

ADHDやLD.ASDは、子どもがかかる病気といって、誤解されたり、取り合ってもらえないことも多いといいます。基本的に薬を飲んで症状を抑えるそうです。

 

発達障害を持つ女性も、

結婚や出産は、パートナーの理解と適切なサポートさえあればできるとも思います。

仕事も、完全に1人でする仕事や、職場の人との人間関係が良好に築くことができたら上手くいくと思います。

 

今の私にはいろいろと大変困難で希望が見えないように感じています。

 

いろいろと失敗した後だからでしょうね。

 

 

 

機能不全家庭で育つと、脳が萎縮してしまって、障害っぽく映る。というか、そうなることもあるそうです。

 

アダルトチルドレンです。

私はアダルトチルドレンもあります。

 

それを治すには、感動する体験や経験、物事、出来事をたくさん経験することが大切だそうです。

誰かにすごく受け入れてもらう。など。

 

それらの経験をアハ体験と呼ぶそうで。

 

脳が満たされ、こころが満たされるそうです。

 

アダルトチルドレンの直し方は、

自分で選択して、それについて責任、自信をもつようにすると良いそうです。

 

私は選択が苦手です。

 

優柔不断な人間で、頭の中であーでもない、こーでもないと、

一人相撲してしまって、失敗することが多いです。

 

失敗したくなくて、より安全で、

正しい選択を求めてしまうからでしょう。

 

慎重に慎重に選択したのに、間違えたらと思ったら結構ショックだったりします。

 

あのときに冒険すればよかったなぁと思うこともあります。

 

「後悔先に立たず」ですね。

 

 

私は普通の平凡だけど、ささやかなことに幸せや喜びを見出せるような、そんな人生を歩みたいです。

 

幸せは心の持ちようともいいます。私はこれから、カウンセリングや本を通して、自分で心、意思決定など、いろいろなことを見直そうと思っています。

 

結局は自分自身の問題で

人は思い通りにはならないから、人に求めたところで、何も変わらないよなと思ってるからです。

 

コロナ前、大学生の頃、エネルギーもあり、余裕もありましたのでそういった考えや行動ができていて、ある程度自信もありました。

 

精神的に不安定になることは、ありましたけど今よりはマシでした。

 

なので、その頃みたいに、またなりたい。と思っています。

 

診断も何も受けず、のほほんと暮らしてる方もたくさんいらっしゃると思います。(それはそれでいいんです) 私も基本的にのんびりやでのほほんなタイプです。

 

自分が発達障害だと、知りたくはなかったですが

(就職のこととかで)

いろんなことが私を知る方向にもっていきました

 

タレントのYOUさんが

「普通の人生、人並みの人生って息子見てて、難しいって思うのよ」とこぼしていました。

 

私もそう思います。

 

Parfumeの歌の歌詞でも

「ねぇ、みんながいう普通ってさ、なんだかんだって実際は多分、真ん中じゃなくて、理想に近い」

 

と歌ってます。私もそう思います 笑

 

 

 

また、少子化が問題視される昨今ですが、

こんな私に子どもが育てられるはずないし、子どもを不幸に、困難な子にしたくないという思いから、

結婚や子どもを諦めています。

 

正直、恋愛も諦めています。

傷つきたくなくて、勇気がなくて、

本当臆病で自分を守ることしか考えてない、

小さい人間です。

 

与えられるより与える人間になりたいです。

 

 

他の女性の発達障害の方も結婚や子どもを持つことに恐怖感。というかそれを感じてみえる方は一定数いると聞きます。

 

私もどちらかといえばそちらよりです。将来、いろんなことを正直に話して受け入れてくれる方がいれば、また別ですが。。。

 

恋愛するより、今は自分のことに片っ端から向き合ったり、いろんなことを勉強して、少しでも、自分が楽に生きられる方法を探していくつもりです。

 

そして、

不登校でも中学校は卒業できます。

しかし、勉強しなければ学力は身につきません。

また、人と共に何かを成し遂げる、協力する。協調する。体験が少なくなるような気がします。

 

すると、社会でて、少し困るかなぁと個人的には思っています。

 

不登校になって、学校に行かない代わり、自分は守られて時間もできるでしょうけど、

 

私の中ではあの時、辛い現実から逃げてしまった。(今も逃げてることもあります)

 

逃げずに向き合わなかった。ということがずっと、

心に響いております。

 

何か違うことがやりたくて、あえて、学校に行かないという選択をする方もみえるそうです。

芸能活動などで、いけない方もいますね。

 

また、何か上手くいかないこと、劣等感を感じると、私は不登校したし、発達障害もあるし、仕方ないか。とそこと向き合うことを避けてしまう、心の弱さ、脆さがあります。

 

逃げずに向き合うということが、私のこれからの人生の課題です。

 

それの第一歩として、夜間中学に通っています。

 

現時点で私は、人と協調することができないわけではないですが、苦手な人間で、不登校からの、様々な経験そんなパーソナリティになってしまいました。

 

ネガティブなこともかいてきました。

人って、成功して、キラキラーな人生より、

ネガティブで苦しんでる人生のほうが、

共感を得やすいのでは?と思ったりしてしまいます。

成功してキラキラな人の人生って嫉妬や、恨み、妬みなど、マイナスな感情も起こしやすいと思ってるのですね。

 

突き抜けて、尊敬に値するようになれば、

また別ですが。

 

あるある!みたいな感じです。

一方で成功してる人を見て素直にすごい!

あんな風になれたらなぁ。と考えることもあります。

 

 

 

はたしてこれを書ききることは、自分にとって、どういう意味をもたらすのか、メリットってあるのか?とか思ってますが、

 

きっと、メリットはある!と信じてやっております。

 

 

たまには手を抜こうと思ってこの記事を書きました。

 

これからも、書きたい記事のストックはあるので、

また見に来てくれたら嬉しいです。

 

更新しなくても15人閲覧してくれたみたいで、

嬉しかったです。

 

たかが、15人。少な。過疎ってると思われても、

OKです。

 

15人さんが来てくれて、何にも更新されてなかったら、飽きたのかなぁ?つまんないなぁーとか思われるかなとか思いました 笑

 

このブログが面白くて需要があるかはわかんないです。

 

ただ書きたいことを書いてる自己満なブログなので、有益。というか皆さんの、見知らぬ誰かさんのお役にはたててないかもです。

 

けど、こんな人いるんだ。こんな考え方あるんだー。くらいにしてもらえたらいいかなって思います。

 

映画を見ると違う人生を体験できますよね?

これもそんな風に思ってもらえたらなって思います。

もしくは同世代の人の、あるある、懐かしブログでもいいです。

 

 

そんな感じで書いていきます

 

Ruriha 

 

中学2年生の記憶(不登校のきっかけ)

 

全体的に暗めな記事です。

 

また違う記事で明るい記事も書きますね。

 

 

 

どうして、この世から、いじめが無くならないのか。

この世の中は決して平等なんかじゃない。

ただ普通に生きるだけでも、不平等だなと感じることって多々ある。

 

自分がいろいろな条件で優遇されていたりすると心に余裕もできるし、

自己肯定もできる。

優越感に浸れる。人生楽しい。

 

金持ち、成功者、喧嘩せず。

 

だけど、不遇だと、寂しい。心にぽっかり穴が開いたまま。

それを埋める何かを探してしまう。

 

世の中の苦しいこと、悲しいこと、楽しいこと、嬉しいことは、常に月と太陽のように表裏一体

隣り合わせ。

 

学校に行きたくても行けない→辛い、悲しい、苦しい

 

学校に行かなくてもいい、勉強しなくてもいい、

好きなことをしてもいい→嬉しい、楽しい 

 

アンパンマンの歌で

「もし自信を無くしてくじけそうになったら、いいことだけ、いいことだけ考えよう」

という歌詞があるけど。

 

辛いこと、苦しいと、ただただ現実が苦しい、不遇であるという

ことばかり考えてしまって、他に目を向けることができない。

 

視野狭窄、視野が狭まる。

 

よく、家庭環境が悪くても、自分の力で、それをバネにして乗り越えて、

強くたくましく生きている人を見ると、

どうしてこの人はこんなに強く生きられるの?

って不思議に思ってしまう。

 

強く生きられる術を知りたい。

つらいことが起きて、

アルコールやギャンブル依存、借金、犯罪などに手を染め、

奈落の底に落ちていく人

 

そこから這い上がれる人、前だけ見て生きられる人の違いを知りたい。

 

つらいとき、何かで紛らわせることができたらって思う。

<アルコール、ギャンブル、パチンコ、甘いもの、ゲーム課金>など

いわゆる依存性がありそうなもの。

 

 

だけど私は避けるように生きている。

身体が欲しがらないから。

 

むしろ、依存できる人が羨ましく思えるくらいだ。

 

私は、中学2年生の時、

A子に、ボスキャラと一緒に居たくないと相談したことがある。

 

けれど、A子はボスキャラとも仲が良かったから

A子にしたら、自分の友達と友達が仲良くなってほしかったんだと思う。

そうなったらいいなって軽く考えていたのだと思う。

 

あんまり気持ちをわかってもらえなかったけど、

とにかく、直接言うのはできないから、

「手紙を書くわ」って言葉を返した。

 

人って性格も、個性も様々だから、

目立ちたくない人にとって、目立つこと、注目を集めること、

派手な人間と付き合うことは苦痛でしかないのだ。

 

結局、私はボスキャラに手紙を書くことにした。

手紙は部活の帰りに渡した。

 

内容は「もう、A子にいわれるがまま、無理して一緒にいなくていい。」

という内容だった。

 

私は真面目である。

 

ボスキャラも真面目で仲間思いな部分はもっている。

だけど、私は自分のことは自分でやっていきたい。

いわば、個人プレーが好きなタイプだ。

 

他人にいろいろと乱されることが嫌いだ。

 

そこから、学校生活が大変になった。

けど、神様って意地悪だなって思うことが多かった。

 

理科の班決めが、くじ引きだったのだが、

ボスキャラと私は同じ番号をひいて、同じ班になったりした。

30人いて、5人組を6グループ。

 

つまり、5分の1の確率。

だけど、ハズレくじを引いてしまった。

 

・仲間外し

・美術のクロッキー帳に落書きされる。

 

私は、中2の秋頃、

ちょうど、体育祭の練習があって、体育祭が終わる頃くらいから

学校を休みがちになって不登校になった。

 

近所の小学生の時の友達が、時間割やお知らせが書かれた紙

をもってきた。

 

そこには、メッセージ欄があって

 

不登校なんですか?」

というメッセージが書いてあった。

 

母が、近所の友達に応対して、

友達が気まずそうな顔をしていたそうだ

 

私は自分が不登校なのかどうか、考えた。

 

母は、「あんたは一時だけにお休みしているだけで、不登校じゃない。」と言った。

 

だけど、「私の中では私は不登校になったのだな。と思ったそれと同時に不登校になりたいと思った」

 

そこから不登校になった。

担任が家に来たり、両親が学校に話しをしに行くこともあった。

 

成績表は中2前期の成績は、美術、音楽だけ、4か5

その他は3

 

だけど、後期は斜線だった。

 

私は地域の学校にいけない子の集まる所か、

たまに学校内の別室に登校したりしていた。

 

昼間は、人の目が怖くて、寝てばかりいた。

おかげで身長がすごく伸びた。

 

やっと、下校時間の16:00か17:00くらいになると

元気になってくる。あと土日は気が楽だ。平日は気が重い。

 

昼間に寝すぎて夜眠れない。

 

精神科のカウンセリングも、スクールカウンセラーも通ったし、

精神鑑定。箱庭療法とかなんかいろいろした。

屋根の上に乗って、飛び降りたらどうなるか。考えたこともあった。

リストカットもした。

屋根から飛びたかった。

けど着地のことを考えると足がすくんだ。

 

スクールカウンセラーと連絡をとるために、

携帯電話を買ってもらった。

折りたたみ式。

 

最初はプリペイド式だったけど、すぐに通信量の上限がきて、

使えなくなる。

 

スクールカウンセラーも転勤。

精神科でやっと相性の合うカウンセラーを見つけたら、産休で、来なくなる。と聞いた。

女性のカウンセラーが良かった。男性のカウンセラーはすぐに結論を求めてくるから苦手だ。

 

話を聞いてもらうのは、カタルシス。精神浄化効果があるそうだ。

 

私もこのブログの記事を書くことで、少しでも、精神が浄化できればいいのにと思う。

 

昼間の過ごし方は

ネット、ニコニコ動画、漫画、読書、映画、音楽などに

明け暮れた。

 

勉強は、家庭教師のトライ、個人塾。

不登校専門の家庭教師を親が呼んでいた。

 

 

よりによって、担任も体育会系の男性の担任で、

 

私の話、気持ちを理解してもらえなさそうだった。

両親も話しが通じなくてお手上げだった。

そして、その人が学年主任だった。

 

それどころか、ボスキャラの保護者にとりあうのも大変そうだった。

ボスキャラの保護者はいわゆるモンスターペアレントで強かった。

 

最近では、いじめられる方が悪いのではなく、いじめる方が悪い。

いじめる子は、謹慎処分や施設送りなど、

いじめる子に制裁を下す考え方が大きくなっているらしい。

 

いじめる側にいる子どもの背景にいる大人のほうが

よっぽどやっかいな存在だと思う。

 

正直大人社会にもいじめってある。

この世の中から、いじめや差別って悲しいけど、無くならない。

弱者救済の制度がなんたる弱いことか、生きてると身をもって知らされる。

 

当時、私が通っていた、中学校は少し荒れ気味だった。

私のクラスは、問題がある子の寄せ集め。

それを体育教師が、壁となって押さえつけていた。

 

 

しかし、相手は14歳。

教室から飛び出していく男の子もいたし、

ふざけて窓ガラスが割れることもあった。

 

そんな多人数問題児を1つのクラスにつめこんで、

アホかと思った。荒れるのわかってるだろうに

大人の考えることって愚かだなって思った。

 

14歳の時、不登校

私のクラスは私含め5人。

 

学年で15~20人前後居た。

皆きっかけはそれぞれだと思う。

 

はっきり言って異常だ。落ち着いて勉強できる環境にない。

 

勉強ができて、進学塾に通う男の子も不登校だった。

 

優等生なのになんで??って思っていた。

中学になると、優等生だけではやっていけないのかな。とか

小学校の時良くても、友達関係が変わると難しいのかな。とか

いろいろ考えた。

 

A子も家に来たりしていた。

だけど、母がA子を追い返したりしていたみたいだ。

 

1-1組の時に仲良くしていた子とか、

A子以外の友達が家に来てくれることはなかった。

みんな、大人も子どもも

結局自分が一番大切。私の存在なんてちっぽけなんだなって

すごく、思い知らされた。

 

そんな生活だった。

 

 

 

 

 

 

中学2年生 進級 体操部から吹奏楽部に転部

 

もともと私は根が純粋でぼーっとしてたのか?

(要するにスキがあった)

 

 

小学生時代からいじめに会いやすかった。

 

私は攻撃的な性格では全然ない。

攻撃に攻撃で返すと戦争になるから。

戦争は不幸だから。人と争いたくない。

根っからの平和主義。

 

仕返ししてやりたくなるときもあるけど。

したところで堂々巡りだ。

 

人の庭を嫉妬や妬みで荒らすやつは、大人でも多い。

けどそんなのにかまけてないで、

自分の庭を綺麗に整備することにエネルギーを使えばいいのだ。

 

漫画のNANAでヤスが言ってたことって、

大人になってなんか沁みる。

 

人間だからいつもいつもそうできるとも

限らないけれど。

 

レイラがいってたことも...

「大人になると、荷物が1人では背負い切れなくて、その荷物を誰かと分けてもてたらいいのに」

的なことを言ってた気がする。

 

けど、今の社会は、極端に自己責任論を支持する。

「例え荷物が重たくなったとしても、大人だから、1人で背負わなければならない」

「当たり前、他人に荷物を分けるのは甘え。怠慢」

だってとられる。

 

私だって人間だから、いつもいつも、強いメンタリティでいれない。

 

実際今だって、心が疲れているし。

 

小学生時代に受けたいじめの内容

・悪口、陰口(同調しないと周りから外されるから厄介)

・上靴を隠される(ある時は女子トイレ、あるときは傘立てにつっこまれていた)

・ランドセルの留め具を開けられておじぎするとものが落ちる

(子どもはほんのいたづらのつもりだろうが、やられた方は結構つらい)

 

誰だって悪口や妬みや嫌みの一つや二つ

言われたことがあると思う。

けど人を傷つける。傷つけている人はさっぱりと忘れて

傷づけられた人はずっと覚えて

トラウマになってるなんてフェアじゃない

 

 

もともと人間が持っている防衛本能で、嫌な記憶は自分を守る

すなわち自己防衛の為 覚えているそうだ。

 

 

前回の記事で、中学1年生時は、朝は相変わらず弱かったが、担任の先生やクラスメイトのおかげで平和に暮らせたと書いた

 

(最初のほうにも書いたが、朝が弱いのは、遺伝かもしれない。)

(祖母も、母も姉も弱いので)

 

当時、ラブ&ピースとかピースマークってやつが流行っていた

 

 

こんな画像のマークだ。

 

(最近、債権手続きをしていた)

サン宝石でピースマークの雑貨をよく購入していた。

 

 

 

 

中学二年生でクラス替え 

で中学一年次の友達たちと離ればなれになってしまった。

 

また一から、人間関係のつくりなおしだ。

いろんな友達ができていいし、友達と上手くいってなかった人は、離れるきっかけができて、

ある意味空気の入れ替えかもしれないが、

クラス替えは、どちらかというと苦手だ。

 

 

 

1-1組から2-2組に移った人は、私を含め、3人しかいなかったのだ。

 

そして、私は2年生のはじめから、吹奏楽部に転部しようとしていた。

A子も入りたいといっていた。

 

当時、テレビドラマではドラゴン桜が絶賛放送中だった。

 

出演者の山下智久。通称山pが、トランペットを吹いていた。

それに憧れた訳ではないが、

姉は、同じ中学校の吹奏楽部で、フルートとピッコロを担当しており、

部長も勤め上げていた。

 

母も定期演奏会など観にいきたいと乗り気だった。

私は、吹奏楽部の門をA子と訪ねた。

 

顧問の先生は少々変わり者だったが、音楽家ってそういうもんだろという目

で見ていた。

 

私もA子もなぜかトロンボーン希望だった。

 

しかし

開いている楽器は、クラリネット木管楽器と、トランペットの金管楽器だったので、先生が適正を決めるといって、

 

私はトランペット、A子はクラリネットになった。

 

トランペットはマウスピースだけで音が出せるようにならないといけない

 

A子はリードの使い方に苦戦していた。リードの全部が全部綺麗な音が出る訳

ではないからだ。

 

中学2年のクラスには荒れてる女の子がいた。

その女の子も家庭環境にめぐまれず、寂しい思いをしているようだった。

 

とにかく身体も大きいし、柔道をやっていて、ボスキャラって感じだった。

 

だからって、人をいじめていいわけじゃない。

 

 

そのボスキャラとA子は友達だった。

だけどボスキャラは、私の仲良しだった友達もいじめて不登校にさせたらしく。

結構いじめの内容が下劣な内容だった。

 

私はお近づきになりたくなかった。

 

しかし、ボスキャラと仲が良かったA子が、

クラス替えでまだ新しい人間関係がつくれていない私に

 

A子「ボスキャラに仲良くしてもらったら?

   私ボスキャラにるりはと仲良くしてもらうよう頼むわ」

 

と言い出した。

 

新しいクラスはやたら運動ができる女子が多く、

ソフト部、陸上部の日に焼けた気の強そうな子が固まっていたので、文化系でいわゆるヲタクな私には、なじみにくかったのはある。

 

 

体育会系の子達は

中身は優しかったので、安心したが、

中には、私のことを「とろい」とか

「ぶりっこしてる」とかいう女の子もいた。

 

でも気にしないことにした。

人の感じ方って人それぞれだし、

別に男の子に媚びたりしてないし。

 

とろいのは、もう、仕方がないよ。。。

 

私は「A子にそんなことしなくていいよ」

と言った。

 

友達って無理してつくるもんじゃないからだ。

 

だけど

 

A子は「いいからいいから」と押した。

 

それで、新しいクラスで私とボスキャラと他のグループから仲間はずれにされた女の子の

3人で過ごすことになった。

 

私は正直嫌だった。

ただ私は平和に暮らしたかったから、この女の子と

関わると、トラブルに巻き込まれそうで嫌だった。

 

ボスキャラは、学校内の恋愛事情とかに興味があったけど、

私は、あんまり興味がなくて(気になる子の1人くらいはいた)

 

相変わらず、アニメや漫画が好きで、

 

京アニの「涼宮ハルヒの憂鬱」や「らき★すた」「桜蘭高校ホスト部

をみていたんだもの。。。

        

 

 

 

懐かしくなってたくさんリンクを貼り付けてしまった(ごめんね)

 

見てる人が同じように懐かしんでくれたらなぁ。

なんて考えたから。

 

そんなこんなで、

「いかにボスキャラと離れる」「距離を置く」

にはどうしたらいいんだろうという

試行錯誤に日々がはじまった。

 

 

 

そのときも、悪口とか陰口とかに

悩んでいて親戚とかに相談していたら

親戚が何言われても同調せずに

「ふーん。」って平行線で返せばいいよ!ってアドバイスをもらった。

 

平行線で返したら向こうもつまらなくなって、やめるから。って。

 

悪口とかそういうのに反応したら、余計に悪化するから、反応しない無のメンタリティをみにつけるといいよって聞いた。

もしくは思いっきり、言い返す。暴れる。

 

また、A子の高校生の従兄弟とも一緒に遊んだりしていたのだが、

高校生の従兄弟は、

「一切人の悪口を言わない人だ」って聞いて

 

小学校高学年時代から悪口の波に流されてきた私にとっては、

そんな自制心というか、そんな人もいるんだなととても感動した。

 

疲れてきたのでつづきはまた次回に回します!

 

Ruriha

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学校時代

 

私は1-1組に入学した。

周りは同じ小学校出身の子もいるけど、

地域の小学校5-6校くらい集まっており、

 

小学校の時のクラスは2組までしかなかったので、

6組まであるのが信じられない程だ。

 

当時はガラケーの時代だ。

皆、中学入学と同時に親が買い与えることが多い。

私の姉は、高校生あるいは、大学生だったので、当たり前のように

携帯電話を持っていた。

 

のちにでてきたスライド式のガラケーをもってると、なんかスマートでカッコいいなと思ってた。

 

両親が姉が高校に入ってから、携帯電話を持たせたので、

私も中学時代は携帯電話なしで、過ごす予定だった。

 

周りは持っている子が多かった為、PCのeメールや、母親のケータイアドレス

を使ってやりとりしていたように思う。

 

なかなか疎外感もあったが、他にも私みたいな子どもはいたので、

あくまで、親の教育方針次第なんだなと思った。

 

私の交友関係は、相変わらずだった。

依存関係を続ける、A子だけ。

 

A子とは1年生時にクラスが離れた。

 

1年次の担任は、ソフトな雰囲気を持った男性の先生で

クラスを家族のような暖かい雰囲気のクラス運営を行いたいと話していた。

 

部活は、私は美術部や、吹奏楽部など、文化部を希望していたが、

A子が文化部はつまらないというので、A子に誘われて体操部に入った。

 

私は運動がそんなに得意ではないけど、

A子の親がママさんの体操教室に属していたので、

私もたまにその教室に行かせてもらっていたから。

 

母は心配していたらしい。

 

体操部の顧問は、姉が中学生の時にセクハラ問題を起こしていたらしい。

その噂が瞬く間に広まり、当時その部活は新入生が12人くらいいたのだけど、

半分の6人くらいがその噂で辞めてしまっていて、私もそのタイミングで辞めた。

 

ただの噂だったのか、本当にあった話なのかは未だ不明だ。

 

一方クラスでは、お弁当の時間のあと、お菓子交換などやっていて、

(本当はいけないが、担任が大目に見てくれていた)

同じ、漫画やアニメ好きな子と友達にもなり、なかなか平和にやっていたと思う。

 

A子とは家が近かったので、一緒に帰るだけ。

下校時だけの付き合いになっていた。

A子はA子で、クラス仲良くやってたと思う。

 

私は、お弁当を忘れるではないけど、朝ぎりぎりに学校へ行くので

学校の購買でパンが売っているのだが、買えないこともあって、

そのときは先生が少し分けてくれていた。

本当に申し訳なかったと思う。

 

朝練も行くけど、朝苦手で、必死なので、

顔が青白い、「顔が死んでる」と

同級生に言われていた。

 

親もお弁当がつくれなくて、父親が昼食代を

机の上に置いてあることが

多かったので困ったことがある。

当時、持ち込みがOKなのであれば、スーパーかコンビニであらかじめ

学校で食べるお昼を購入しといて、もっていけばよかったと思う。

 

母も、唐突にお弁当がつくれないということが多かったので致し方ない。

 

1組はクラスマッチで優勝したりして、なかなか良いクラスだった。

中学校3年生のうち、1年生だけでも良い思い出ができてよかったと

今は思っている。

 

私は、正直、大学生時代や社会人時代、小休止中の現代もずっと不登校だった自分にコンプレックスを感じていて、

集団でうまくやれないのは、中学校を不登校したから、

集団の訓練が足りないからだと思っていたし、

 

勉強面でも、中学の内容が抜けているので、高校は進学したけど、

やっぱり、皆と足並み合わせて学ばなかったからかなと思うことがある。

 

それと、学校に行かなくても勉強は家や別室でもできるけど、

友達付き合い、なにげにないおしゃべりや、お弁当を一緒に食べる。

一緒に帰るなどの友達付き合いは大人になってから長期にわたってはできないので、

すごく貴重な時間だったんだなと思う。

 

ちなみに来月から夜間中学へ通う予定だ。

 

不登校になったきっかけは、次の記事で書く

 

Ruriha