人生記憶

数あるサイトの中から訪問感謝いたします。私の人生の見つめ直し記録・記憶です。

小学校高学年時代 不登校の前兆

先にネタバレしてしまうと、

私は中学2年の秋から不登校になった。

 

思えばこの頃から学校という環境に

不適応、不適合を起こしていたように思う。

 

私は小学校高学年になると、

 

夜遅くまで、ラジオを聴いていて、

寝落ちする。

朝起きれない。学校に遅刻する。

学校への行きしぶり(学校に行きたくない)ということがはじまっていた。

 


表向きは上手くやっていきたかったけど、

なんか、上手くやれなくて、

理解してくれる人も片親の友人しか

いなくて、ストレスが溜まっていた。

 


けど、自閉症か、ダウン症をもっている子がクラスにいて、介助の先生がついていた。

その先生に会うことを支えになんとかやっていた気がする。

 

そんな子って結構たくさんいたような気がする。

 

障がいを持っている子も普通級で学ぶと、

理解や思いやりの気持ちが生まれて、

子どもも良い社会勉強になるので、

排除しないで、上手くやれたら良いと思う。

 

子どもは大人と違って、決めつけで物事を見ないので、柔軟な考え方ができる。

 


母に、「学校行きたくない、学校休みたい」と

告げると、

 

「休んでもいいよ」

と行ってくれる日

 

「母に、行かなかったら後悔するよ。行ったら楽しかった!」

と言って帰ってきてる日もあるよ。

 

と言われて

 


遅刻しても、何とか学校には登校していた。

 


学校と家は近く、

近くの家の子のほうが、油断してしまって、遅刻気味になったりするそうだ。

 


学校から家に帰って、家でリカバリーする時間が長くほしかった。

 


なので、夜遅くまで起きていた

深夜1:00くらい。

 


聞いていたラジオは、

スクールオブロック

「やまだひさしのラジアンリミテッド

を聴いていた。

 


聴きながら寝落ちすることが多かった。

 

完全に夜型生活だ。

 

また、漫画やアニメは、深夜アニメを見たり、

NANAを読んだりしていた。

 

作品でいう、NANAは、

結構好きなのだが、途中で作者が体調不良で

打ち切りのようになってしまって、

結末が見れず仕舞いで、悲しい。

けど、もう、前の話は忘れてしまっていて、

どこでどう止まってるかもわからない。

 

NANAの漫画の中には、

機能不全家庭(家庭の役割が上手く機能していない、不十分な家庭)

で育った登場人物達

(全員とは言わない)

がたくさん出てくるので、

現実にはあり得なさそうな話と思いながらも

なんか登場人物に憧れたり、

共感してしまうことが多かったように思う。

 

母は夜遅く、朝遅刻気味なのは、

ハラハラしてたみたいだけど、

朝食をきちんと用意して、送り出してくれることは、あんまりなかった。

 

父親が、朝早く、

一人で自分の分の朝ごはんを用意して会社に行っていたような気がする。

 

母も朝弱く、起きてこなかった日も多かったから、

机の上に置いてあるパンを食べて学校にいっていた。


なので、家族バラバラな朝ごはんだった。


CMでよく見る、母親が朝早く起きてきて、

朝食の準備をして、

家族揃っての朝ごはんは、

うちではあまり無い光景だった。

 

家族の形のCMって、そうでない人にとっては、

ちょっと、残酷だなって思う。 


大人になって、やっと、朝ごはんを食べることの大切さを学んだ。

 

学校の先生は、私は担任運がわるく、

6年間ほとんど男の先生で、

体育教師みたいな目先のことだけしか見ないで怒る人が多かったように感じる。

それか、見て見ないふりだ。

 

ルールは守るのが当たり前、それ以上でも以下でもなく、言い訳は聞きたく無いという感じだった。

 

先生って、このタイプが多い気がする。

自分が上手くやってこれたから、上手くできない子の気持ちを理解しようとしないで抑えつけて、

それで子どもが反発する。というパターン。

 

 

 

中には、「体育祭や文化祭など、イベントごとがある日は、遅刻せずにはりきって、参加できていたので、大丈夫ですよ」 

 

と言ってくれている先生もいた。

 

私はかなり自分に正直で、やりたいこと、やりたくないことがはっきりしている。

もう少し自分にも、グレーゾーンという、白黒はっきりさせすぎず、

とりあえず...

という部分を作らないといけないと

思っているところである。

 

大人になって社会に出たら、嫌だけど、やらなきゃいけないことが多いから

いろんなことを我慢して、我慢した分は違う場所で発散する練習をしておけばよかったと思う。

 

結局、〇〇はいけない、〇〇は悪いことだ。

といわれても、、、

何がどういけないということがわからないと、

自分も何故いけないかがわからなくて、

反発ばかりしていたように思う。

 

そんな幼さが残る子どもだった。

けど、担任の先生に、自分をもっている子どもだから、それを上手く表現して、周りと協調できていくといいのかなといわれたこともある。

 


このブログは、結末という結末は用意してなくて、

ただの人生振り返りブログなのだけど、

良いことも悪いことも、バランス良く、

書いていけたらなと思っている。

 

読んでくれる人が一人でもいる限りは、

打ち切りにならないようにはやっていきたいと思っている。

 

 

 

Ruriha