人生記憶

数あるサイトの中から訪問感謝いたします。私の人生の見つめ直し記録・記憶です。

番外編:小学校時代の過ごし方 (放課後編)

 

 

私の小学生時代の勉強は

主に公文式だった。

 

小学校の近くにあり、通学路も安全だったので

保護者も学童保育がわりに通わせて、

そこで勉強してから、帰ってくる児童が多かった。

 

現在は、4限授業 というのがないらしく、

小学校1年生から授業が、少なくても5限授業と

聞いたことがある。

 

4限授業を経験した身としては

4限授業がなくなって悲しい。

4限だと14:00には学校が終わっていた。

5限だと15:00で6限だと16:00に下校の

スケジュールだ。

 

けれど、今は保護者の方も共働きで忙しいので

PTAとか保護者総会とか、

保護者や学校の負担を少なくする役割も担っているのであろう。

 

一方で子どもが自由にする時間って減っていると

思っている。

 

今は習い事で毎日忙しくしてる子どもが

当たり前にいる。

 

学習指導要領が大きく変わり、

英語やプログラミングなんかが始まって、

いきなり、詰め込みすぎなんじゃないかと

少し心配に思う。

 

私の時代も、ELTの先生が来て英会話の授業はあった。

だけど机に座ってやる授業はなかった。

 

中学校の最初の英語の授業で、

アルファベットを習うのは健在らしいのだが、

そこを文法からとか、会話から。とかにしないと、

二重で勉強することになって、子どもが退屈してしまうような気がする。

 

また、プログラミングも、算数の一環でさらっとやるだけだったので、

みんながプログラミング、プログラミングって騒いでいたけど、なんか拍子抜けした。

 

学校の先生を担任の先生1人の責任に

押し付けると、

将来先生の担い手がいなくなってしまうような気がする。

 

また、不適応起こす子どもがたくさんになってしまい、手に追えなくなるような気がする。

 

義務教育なんて意味ないといいきる若者がいて、

私はこの世は学歴主義、権力主義な

社会と思って生きてきたので

衝撃を受けた。

 

勉強ができたら、高学歴なら、仕事ができる=

稼いで社会で独り立ちして生きていける

 

は必ずしもイコールではない現状があるので、

若者の言い分もわかる。

 

人それぞれ、考え方、価値観、得意、不得意、興味のあり方もそれぞれなのだから当たり前だ。

 

勉強が得意、スポーツが得意、美術、音楽が得意、人間関係が得意など、それぞれ適正があると思う。

学歴と職歴だけに偏った採用面接って何なんだろう。と思う。

 

教育の内容や大学入試のあり方。

 

職業選択の自由をもう一度

考える時期にきているのかもしれない。

 

今の現状を

当たり前として受けとめて、子どもも親も先生も学校も日本の社会で頑張ってるのですごいと思う。

 

 

私の親は、習い事をやめさせることはしなかった。

やめたい!というまでは、続けさせる方針だった。

 

今はだらだら目的もなく続ける習い事は、

月謝が勿体なかった。

 

と思ってるので、親のほうから

真剣にやらないなら、

お金勿体無いから見切るよ!と

叱咤激励してもらったほうが助かったかもしれない。と思う。

 

けどきっと、何か見つかれば、

それがこの子のためになるなら

月謝を払ってくれていたのは

親心だと思って感謝している。

 

 

私の時代はゆとり教育だったのかな?と思う。

社会に出て、土曜日も授業時間数も少なくなり

ゆとりだから...といわれても

そんなの文部省のお偉いさん方が決めたことで

それを受けてきた人達には、何も罪なんてないと思う。

 

私の勉強方法は、

一人でもくもくと家でワークを進めるような

勉強は私には向かなかった。

進研ゼミやZ会が流行っていた。

 

進研ゼミの勧誘の漫画は、

進研ゼミさえやれば、勉強はもちろん、友達関係も恋愛も、部活もうまくいく!という内容で

 

よく、そんな訳ないだろ、、、と

馬鹿にされていた(していた)ような気がする。

それを信じて頑張った子は上手くいったかもしれないけど...

 

 

私は、家で一人でやるより、

誰かの目があるほうが捗ったようだ。

 

くもんには、厳しいおばあちゃん先生と

40代くらいのミドルの若い先生がいた。

 

私は、厳しいおばあちゃん先生のことは苦手だった。

ミドル先生のことは好きで、

友達と一度家に遊びにいかせてもらったことがあった。

 

けど、今思えばおばあちゃんになっても頭の回転が早く、すらすらっと、パッと答えがわかるのってすごいなと思う。(公文式には解答書があるけど..)

 

ミドル先生は、大きな家に住んでおり、

大型犬と小型犬をそれぞれ一匹ずつ飼っていた。

 

先生は、

犬の服の着せ替えなども楽しんでいたように思う。

 

大型犬は、自分の体よりも大きかったので、少々怖かった。

 

私と、先日の記事で書いた友達も一緒の公文に通っていた。

 

当時は、ゲームボーイアドバンスが流行っており、それらで、ポケモンリーフグリーン、ファイヤーレット、エメラルドなどをして遊んだ。 

 

 

今でもポケモンは好きだ。

任天堂のキャラクター

(どうぶつの森の動物、ゼルダ、マリオ、カービィー、ポケモン)って

世代を超えて愛される長寿キャラクター

が多い気がして、すごい。

1つのコンテンツを長く、

少しづつリニューアルを

繰り返しながら、使う。

すると、ユーザーも愛着が湧くから親しみやすい。

世代間交流もしやすい。

 

 

私は姉がいるから、姉がゲームボーイカラーをもっており、ポケモン、金、銀、クリスタル、ピカチュウ、コロコロカービー  などでも遊んでいた。

 

コロコロカービーは、ゲーム機を傾けるから

なんかすごく楽しかった気がする。

 

公文式も終わってからも、家に帰らず、

だらだら別室で遊んでいたので、早く帰るように注意されていた。

 

公文式に行っていてよかったことは、

計算能力がついたこと、国語の読解力がついたこと。

 

 

いわゆる基礎学力がついたことだ。

 

中学の受験勉強のいわゆる、応用力というのはつけることができなかった。

 

基礎学力をつけたい人には公文式をお勧めする。

 

私は、親に中学受験を勧められたこともある。

 

だけど、私の学力と、勉強嫌いの性格では、

多分受験勉強を突破して、私立中に入るのは、無謀だったであろう。

 

しかしながら

今思えば小学校の友達と離れるためにも、挑戦してみれば良かったなと思う。

 

小学校が同じ子も何名か行くにしても、また全然違った環境、友達で過ごせたほうが自分自身も成長できたのではないかなと思う。

 

公文式も小学五年生くらいで辞めた。

 

公文式を中学生や高校生くらいまで長く続ける子どもがいるということは公文式で、働いたこともあるので最近知ったことだ。

 

私は何を思ったのか今思い返してもわからないが、

近所の進学塾に入ることになった。

(自分を変えたかったのかもしれない)

 

そこの進学塾には、いろいろな小学校から、

生徒が集まっており、中学校の学習準備も兼ねて、

入ることにしたのだ。

 

だけど、夕方からの集団授業と、

内容が、中学受験内容だったので、

さっぱりついていけなくて、寝てばかりいた。

 

私の苦手な集団授業と、鶴亀算

とかいきなり言われても、さっぱりだった。

 

結局身にならず、お月謝が勿体無いので、

3ヶ月くらいで辞めた。

 

中学校に入ったとき、同じ塾の子に

「寝てばかりいたやつ」とばかにされたりした。

 

何で入ることにしたのか本当に謎であるが、

当時、スクールカーストというのでいえば、

上位に入る子がいたので、その子達みたいに

なりたくて入ったのかもしれないなと思った。

 

その塾に入ってた子の一部は、私立中学に

進んでいた。

 

お門違いもいいとこで、身の程をわきまえればよかった。と今は思う。

 

なんか小6くらいに、いきなり

ファッションにも目覚めて、

nicolaとか読んで好きなモデルさん

(西内まりあちゃんとか日南響子ちゃん)の

髪型の真似とかしていた気がする。

 

こうしたら正解!上手くいく!

というのを小中学生の雑誌に求めていた。

今もたまにファッション誌を読むけど、

ほぼほぼ広告で、内容が薄っぺらくて少し物足りない。

なので付録目当てにたまに買うくらいだ。

 

 

つくづく、私達の情報媒体は

インターネットに移行したのだなぁと思う。

身近なネットにインフルエンサーがたくさんいる時代。

 

昔はとても雑誌が好きだった。

雑誌の話も機会があれば

また書きたいと思う。

 

ネットでは興味のある偏った記事しか見ないが、

雑誌の紙面には、

自分の興味のあるもの以外の紹介もあるので

視野が広がる。

ある意味出会いがある。

 

都内に住んでいる子はいいなぁと、

都会に憧れを雑誌からもった。

あと、東京から従兄弟が毎年、盆と正月に来るのだけど

いつも都会風吹かして、

 

伊勢丹で買ったプレゼントやその時々の流行り物をもってくるので、従兄弟の生活が羨ましかった。

 

従兄弟より先に流行のもの、最先端なものを

手に入れたことはない。

(DS.たまごっち.ipod. ipodtouch.携帯電話)など

 

 

 

生まれた環境や家庭の経済状況で、こうも、

子どものときから接するものが違うと、

人生違うんだな。

不公平だな。やりきれないなという気持ちが

ずっとあった。

私の家も貧乏という訳ではなかったけれど、

従兄弟の家が経済的に豊かだったから

余計にそう感じた。

 

逆に、地方の物価の安さに驚いていた。

 

私は、将来の夢とか

具体的なことは全然決められてなくて

周りに流されやすい性格だったこともあり、

自分の中で

アイドルブームがくればアイドル

漫画ブームになれば漫画家 

 

と本当に夢見がちなことを言ってた。

全然将来の生活のイメージなんて描けてなかった。

その時を精一杯生きていたからかもしれない。

 

ちなみに、幼稚園の時に将来の夢を一言で話す

ビデオを撮ってもらっていて、

「本がたくさん売っている本屋さんになりたい」

と言っていた。

 

中学校に入学すれば、また環境も変わるし、

自分を変えたかったし、少しは期待を持って、

中学校に進学したつもりだったけどね。 

 

Ruriha