人生記憶

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番外編:夏休みの宿題(読書感想文編)

 

私の母は、読書が好きで、実父に怒られて、押し入れに閉じ込められても、懐中電灯を持ち込んで、

秘密基地みたいにして、黙々と読書に励んでいたらしい。

 

むしろ本に熱中しすぎて、でてこなかったので、

心配されたそうだ。

 

そんな母は、母が小学生時代に書いた読書感想文が、

全国で2番に選ばれたという武勇伝を持っていた。

 

1番になれば、天皇陛下から表彰されるので、

本当は1番になってその夢を叶えたかったという。

 

 

母も祖母も皇室全盛期の時に、テレビにかじりついて、見ていたので皇室ファンだったそうだ。

中でも美智子様が好きだったらしい。

 

母の読書感想文は、小学校の担任など、

大人が読んで、大人に加筆修正されて、

それをコンクールに出してしまった為、

 

子どもらしさが足りなかったのか?

2位で特別賞という賞に落ち着いていた。

 

けれど、本当に僅差だったらしい。

 

そんなわけで、私の読書感想文の指導はスパルタが入っていて、毎年大変だった。

 

最終的に母が書いてしまうことや、母の下書きをなぞって、自分なりに変えるような作品になっていた。

 

それでも佳作など入賞したことはある。

だけど完全に自分の実力じゃないし、あんまり嬉しくなかった。

 

中学校で不登校をしたとき、わりと心許せる、国語の先生がいた。

その先生は魔女の宅急便が好きでジジのぬいぐるみをペンケースにつけていた。 

 

その先生に、読書感想文が

「るりはさん、これよく書けてるからコンクールに出すから清書して」と言われたんだけど、

当時、気力が無かったのと、学校内で目立ちたくないという気持ちがあったので他をあたって下さい。

と断ってしまった。

 

今はメルカリ  で読書感想文が買える時代ですごい。

もしゆとりがあればチャレンジさせてみるのも悪くないとは思う

 

その当時題材にした本は、

「エルマーの冒険」

「ありがとうフォルカー先生」

「びゅんびゅんごまが回ったら」という絵本。

 

「ありがとうフォルカー先生」は

LD(学習障害)を持つ5年生の女の子が主人公の本で、

フォルカー先生という先生に出会って文字が読めるようになって、女の子に光がさしていくというストーリーだ。

 

 

私も子どもの頃、漫画ばっか読まないで、活字の本を読みなさいとよく言われていた。

 

漫画本を公に読んでると母に注意されそうだったので、漫画の児童書をよく図書室で借りていた。

 

母は本がとにかく好きな人だった。

絵本屋さんや、本の作家さんの展覧会、絵本の作家さんの講演会にもよく連れていかれた。

毎年一回くらいだったが、作家さんと話して、絵本にサインをもらって

それはそれは楽しかった。

 

また、児童書では、「シェーラ姫の冒険」と

いうシリーズものの読み物にはまっていた。

 

小学校低学年、中学年時代は、

「ハムスターの研究レポート」四コマ漫画

ピータラビットのおはなし」(ミニブックシリーズ)

 

公文出版からでている、漫画ちっくな

いわゆる目がキラキラの赤毛のアン

(気に入って何度も借りて読んだ)

 

(私はネガティブ思考気味なので、

赤毛のアンの前向きさ、ひたむきさに憧れている)

 

大人になっても、

NHK朝ドラの「花子とアン

NHKの日曜11:00にやってる「アンという名の少女」を見ている。

 

また、「しずくちゃん」というキャラクターの絵本やシールブックにもはまっていた。

なんか不思議な親しみやすさがあった。ハム太郎

キャラクターの目が似てたからかな?

 

中学年、高学年時代は、

ひみつシリーズや、偉人シリーズに凝っていた。

 

秘密シリーズは、工事のひみつ、コンビニのひみつなど...

職業教育の一環で置いてあったのかな?と

思う。

 

ひみつというタイトルがつくと、何の秘密か知りたくなってしまう、昔から、好奇心旺盛な私だ。

 

偉人シリーズの漫画は、近年は、スティーブ・ジョブスターシャテューダーなど、新たな偉人もできている。

 

私は最近知った偉人の「シュヴァイツァー」の偉人の本があれば読みたいなと思っている。

 

また、何を思ったか、病院の待ち合い室で、

ベートヴェンやバッハ、モーツァルトなどの音楽家達の偉人の生い立ちの絵本なんかを読んでて、

泣けてきてしまった。

「みんな苦労したんだ」「耳が聞こえないのに、死ぬまで曲をつくるなんてすごすぎる」などなど、、、

難しい書物を読むより、絵本だったら何故か心に

すーっと入ってくるから不思議だ。

 

それで、マスクしたりして誤魔化していたけど、

かなり気まずかった。

 

同じく、人前で泣いてしまったエピソードでは、

私は感受性が強いので、細田守監督の

「オオカミ子供のアメとユキ」を映画館に見に行ったときに、隣の親子連れの親はあくまで付き添いという感じでスマホを見ていて、

映画は見ていなかったけど、男の子は、見ていて、

あまりにも、映画の映像が綺麗すぎて、感動して、

泣いてしまった。そしたら、男の子に

「お姉ちゃん、何泣いてるの?」と言われて

恥ずかしかった。

 

コロナ禍で「モモ」という児童書が有名になった。

 

私はこの本を高学年の時に読んだ。

今、こんな時代になって、再びモモに注目が集まっており、

「時間の大切さ、何も時短や効率化ばかりに囚われて働くことばかりが正しい」

というわけじゃないという価値観が注目されている。

 

また、たまたまボランティアで出会った医者が

「人生には、無駄なことでも、一見価値のあることもある」といっており、 

 

「どうしてそう思うのですか?」と聞くと、

 

医者は、回転寿司に行って、お酒を一杯飲むことが好きだったが、コロナ禍で、できなくなったので、大変寂しいと言っていた。

 

私は、医者から、この言葉を聞いて、

通勤時や休憩時に自販機でドリンクを買ってほっとする時間、

同僚や会社の人間との雑談など、一見無駄なことのように見えても

通勤時に季節の風や移り変わりを感じる

ツバメの巣を見つけるなど、

いろいろな気づきや経験には、価値があって、

コロナ禍でそれが少なくなってしまったので、

そんな時間が恋しいという事を聞いて

確かにその通りかもなぁと思ったのであった。

 

失って初めて気づく日々のありがたさがあったなぁとしみじみ思う。

 

Ruriha