人生記憶

数あるサイトの中から訪問感謝いたします。私の人生の見つめ直し記録・記憶です。

番外編:母との喧嘩、家庭の教育方針

ヘビーな話題でもあるので。

親子関係や家庭環境に

トラウマがある人は読まないことをオススメする。

 

私は家にかえってきて、母と喧嘩になった。

多分きっかけはささいなこと。

 

ランドセルを帰宅したらすぐ自室にもっていく。

すぐに宿題をする。

体操服などはすぐに洗濯物に出す など、

 

そういう基本的なことが

あまりできてなかった。

宿題も朝起きて登校する前にしたこともあった。

体操服も出し忘れることもあった

 

母はとても、子どもが好きで、

ボランティア精神が強い女性である。

 

母は母なりに実の父親に縛られずに

自己実現をしようと趣味やボランティアにすごく奮闘していたことがあって、

子どもながらにその趣味の押し付けが辛かった。

 

本音はもっと子どもの私だけを見て欲しかった。

 

ある時、物を大切にしなかったので母に怒られた。

その時、

 

「勉強したくてもできない子が世界にはいるの、もう、あなたの服も文房具も、全部、恵まれていない子ども達に送るよ」

 

といわれ、叩かれた。

 

母は、正しいこと、いろんな見方、考え方を

教えようとしていたと思う。

けど、教え方がよくなかったと思うし、ヒステリックに怒るので怖い。

 

母も更年期だったように思う。

 

私は、反抗して、

「虐待っていって、警察に電話する」

と冷静に助けを求めていた。

 

そのくらい母の怒り方はすさまじかったのである。

 

泣いてその時は反省するが、また同じことを繰り返していた。

全く、学ばない奴である。

 

感情的になって怒っても相手には響かないと私は思う。

 

一呼吸おいて、冷静に

何がどうで、どういけないのか言わないと

本当の母の想いや、

しつけというのは伝わらないのじゃないかと思う。

 

この母の想いを当時の私が素直に受け止めることができて、

喧嘩にならなかったら1番良かったなと思う。

 

私の家庭は、わりと教育熱心でしつけが厳しかったように思う。

 

しつけが厳しかったのは

世の中の常識や

人に不快な思いをさせないための

基本的な礼儀やマナーがわかったのでよかったと

思うこともある。

 

教育熱心な母であり、

その時、学研の教育教材の

「アクセル1」という教材をとっていたのだけど、全く手付かずだった。

 

 

テストだけ受けたりしてみると、悪い結果が帰ってきたので、その教材で勉強してないので当たり前なのだが、

泣いて、自分はどうしてこんなに出来ないのだろうと思っていた。

 

私は、母が勝手に私の意思を無視して教材を取ったように思っていたけど、

後に母に聞くと、

「あなたがやるっていったから」といわれた。

 

そんなこと言った覚えはないと思ってしまった。

 

溜めて、手付かずはお金がもったいないから、やらないなら解約したらいいのにとも思った。

 

あるある話だが、自室で勉強しようと思っていた。というときに母が入ってきて、勉強してるか?

と聞いてきて、嫌になってしまうことが多かった。

 

習い事は、週2回の公文が追加された。

あとは書店で買った、100マス計算のドリル

をやっていた。

 

おかけで、計算だけは早くなったように思う。

 

母の教育方針は、漫画禁止だった。

だけど、友達から漫画を借りたり、

親戚からもらった一万円分の図書カードを

漫画に流用していてこっそり買って読んでいた。

 

子どもっていうものは大人がどんなに禁止をして

制限をかけても、抜け道を探すものである。

一見、ずるいようでいけない事のように思うけれど、それがある意味でその子どもの逞しさ、生きる力なのである。

 

「ちゃお」や「なかよし」

の漫画の単行本だったり雑誌だったりした。

ちゃおが当時は1番人気で、

私はなかよし派だった。

 

りぼんを読んでいる女の子は、なんとなく

落ち着いてて、

大人っぽくてお姉さんって感じがした。

 

 

漫画は、姉のもってる漫画

テニスの王子様」「名探偵コナン

彼氏彼女の事情」「悪魔で候

「ラブコン」などを読んでいた。

 

どれも、名作だと思う。

1番、この頃が漫画にはまっていた。

ジャンプの漫画「BLEACH」や「NARUTO

DEATHNOTE」も

アニメがやってて、全盛期だった気がする。

 

父は仕事人間だったので、あまり子育てに参加することはなかったけど、

母が父にいいつけて、

父から怒られるということもあったので、

私は父を怖い存在だと思ってた。

 

昔の言葉で怖いものを表す時には、

 

地震、雷、火事、親父

という。

 

私は、親父が怖かった。

父親は普段は感情を表に出さず、何を考えているのかわからない。

 

クールで鉄仮面のようだが、

感情を表に出すと、マグマが噴火する様子なので

怖かったのだ。

 

正直、子どもにとって、初めて出会う異性は

父親なので、今も男性が怖いと思っている節がある。

 

巷では、家庭の主導権を握るのは母親が多いが、

私の家では父親だったのだ。

 

父は仕事ばかりであまり家庭にいなかった。

 

父の想いは、家族を養う、守るために、頑張って働いてる。という想いだったのだけど、

父は感情が見えにくいし、言葉で伝えてくれることも少ない為、

母と私は寂しかった。

 

姉は高校生で部活に明け暮れて、

家には寝るだけに帰っているようだった。

 

姉の高校生活はとても充実していたと思う。

家庭に居場所がなかったので高校に居場所を求めて、上手くやっていたのだろうと思う。

 

姉は器用で努力家だ。

 

けれど

姉も服装を祖父に注意されたりして、

祖父の怒りが、母に向くので

母は祖父に子育てがなってないと

責められて可哀想だった。

 

姉の高校は、私服だったので、

姉も、好きな服が着れなくていいこと無しだ。

 

私は、怒られて、

外に締め出されて鍵をかけられたこともある。

 

親って子どもにとって絶対権力だと思うから、

逆らえないし、今思ったら締め出しは、相当怖い。

 

私の家は団地やマンションではなかった。

団地やマンションの子は、

団地の子どもが締め出されても、

友達の両親や友達が

助けてくれたらしい。

 

昔は、ある程度叩いたりすることもしつけの一つだったし、締め出しも許容されてたかもしれないけど

親子の心に傷が残るし、

やらないほうが賢明であろう。

 

言うことを無理に聞かせようとすると、

堂々巡りになりかねないので。

自分で気付くまで、見守るのが良いのかなと思う。

 

怒りをコントロールしたり、冷静に伝えたりして、教えていくほうが、

上手くいくかはわからないけど、暴力や権利でねじ伏せるよりは数倍良いと思う。

 

発達障害の子どもは、耳で聞くのが苦手らしく、

視覚で訴えかけたほうがよく理解するそうだ。

 

 

怒りをコントロール(アンガーマネジメント)

するには、

深呼吸したり、トイレに行ったり、

握り拳をにぎって、3秒数えてみる。

などが良いそうだ。

 

 

子どもは、なんだかんだいって、親が好きで、

親に認めてほしい、愛して欲しいと思っている。

(思ってない子も中にはいる)

 

子どもながら自分の不甲斐なさも、

自分なりに理解して、自分と付き合っている。

 

子育てに正解はないし、親子でも人間同士だから、価値観が違って、

上手くいかないことも多いと思う。

 

だけど、子どもを言葉や暴力で傷つけることだけは、本当にしてほしくないと思う。

もししてしまったとしたら、

きちんと謝罪したり話し合いの時間をとって修復してほしいと思う。

 

私と母は、親子関係の修復の時間がとれたが、

姉は、大学で家をでて、そのままなので、

未だに母は姉との接し方を後悔しているらしい。

 

本当はもっと、姉と連絡を取り合ったり、

親子の時間をつくったりしたいと思っている。

 

いつか、姉も母や私に心を開き、いろんなことを話して、家族仲良くなれる日がくればいいのにな

と思っている。

Ruriha