人生記憶

数あるサイトの中から訪問感謝いたします。私の人生の見つめ直し記録・記憶です。

小学校 低学年〜中学年時代 

 

小学校2年生の記憶はほとんどない。

 

近所の仲良し4人組とたのしく友達関係をもって暮らしていた。とくにすごい記憶がなかったので、とても平和な一年だったのだろう。

 

けど、友達の家で、わりと繊細なつくりのおもちゃを壊してしまって、本当罪悪感でいっぱいだった。

友達は許してくれたけど、本音はわからないから、怖い。

 

頭が良い優等生的な子、お転婆な子、スポーツが得意な活発な子。私はどちらかというと 活発だけど根が繊細だから、気にしいだし、上手くバランスとれてたのかは謎。

 

 

そして、私の好きなお菓子はプリンチョコというカップにプリンのチョコレートがたくさん入ってるお菓子、

 

トゥインクルという卵型のチョコレートのお菓子も幼稚園時代から大好きだった。今もたまに買う。

中にグミやラムネ、チョコなどがはいっていて、楽しいし美味しい。銀紙もカラフル。

トゥインクルトゥインクルちゃんが少しキキララに似ている。あと、動物たちの絵も好き

 

なぜかシールがついてる。子どもは好きだろうなという感じ。

 

あと、ヤングドーナツはよく買っていた。

当時の記憶は、30円で、美味しかったから。

少しかためで美味しい。今も食べたくなる。

 

駄菓子屋さんも近くにあったので、よく行っていた。

おばあちゃんがやっていたので、今はもうない。

 

駄菓子屋は不定休で、おばあちゃんが、習い事の日は休みなことが多かった。

 

広告で、駄菓子をいれる袋を手づくりして、

上手く工夫して商売をしていた。

 

今も、違うところだけど、おばあちゃんがやってる駄菓子屋さんがあるので、応援のために、たまに行く。

 

そして

私は昔から花の絵を描くことが好きだった。

ある日、市の広報?フリーペーパーの表紙に私の絵が選ばれたことがあった。

それはそれは嬉しかった。

 

私の描く絵はカラフルで、花を描くことが好きだった。今も花はすごく好きだ。また絵を描きたいと思っている。

 

お絵描き教室で、小学校の同級生とは違う

外国人の男の子と仲良くなって、一緒に木を剣に見立てて、遊んでいたけど遊びが激しすぎて、その子のお父さんに止められたりした。

 

私は、小学校低学年の時、転校生の外国人の男の子に、抱きつかれて、キスされて、(男の子は挨拶のつもり)びっくりして、家に帰ってきてから、泣いたことがある。

 

母に「挨拶だから仲良くしてあげてね」と

優しく諭された気がする。

 

そういえば、家と学校が近かったから、

トイレも、学校であまり行きたくなくて、家に帰るまで我慢して、よく家に帰った途端、トイレへかけこんでいたりした。

 

繊細な子どもだったように思う。

 

3年生頃から、少しづつ変化してきた。

 

それも悪い方に。かな。

 

3年生の時、仲良くしていた、病院の息子の幼馴染が、受験のこと、医者になることを考えて、遠くに引っ越してしまった。

 

私は満足にお別れもできず、また、初恋?の相手だったため、、、

 

とてもショックだった。

医者の子ども、家庭は大変だなぁと思った。

 

幼馴染が引越ししてから、母に手紙を書いたら?といわれたりしたけど、新しい住所もわからなかったので心にぽっかり穴が空いた。 

 

小学校入学時にある程度同じ幼稚園や保育園の友達や仲間でグループができてしまって

市街の私立の幼稚園へ通っていた私と同じ幼稚園に行っていた子が少なくて、

その子だよりだったところがあった。

 

だからその繋がりがなくなってしまって、かなり寂しかった。

 

良いことは、3年生のときに、父が、夏休みの最後の8/30.31にディズニーシーに連れてってくれ、

運良く空いていたホテルミラコスタ

泊まったことと、アリエルのパレードをディズニーランドで見たこと。

 

その時、人魚姫が大好きだから、アリエルの海上でのパレードはとても華やかで楽しかった。

 

ホテルミラコスタには、それ以来泊まってない。

ディズニーに行っても、パーク内ではなく、パーク外のホテルばかり泊まっている。

 

ちなみに、夏休みの宿題は、

ワークだけ7月に終わらせ、面倒なポスター

や書道は、8月頭に終わらせ、自由研究や作文などの労力のかかるようなものを8月の最後に終わらせるという

 

 

1番大変なことを1番後回しにしていたような気がする。

 

まぁ、楽に終わりにできそうなものから手につけるのは、計画性がなくて、本能のまま、素直に生きていたのかもしれない。

 

Ruriha