人生記憶

数あるサイトの中から訪問感謝いたします。私の人生の見つめ直し記録・記憶です。

幼稚園時代〜私立の幼稚園に入園した私

 

私は隣の市の私立の幼稚園に入園した。

 

毎朝、幼稚園バスのお迎えがあって、

朝起きるのが小さいときから、苦手だったみたいで、朝は結構バタバタしていた。

 

特に月曜日は、

父が日曜の夜に東京に帰ってしまうし、

土日のどっちかの夜11時頃に

ER緊急救命室がやっていて、

それを一緒に見たりしていて、

寝るのが遅くなっていた。

 

父は本当は医者になりたくて、その次は国家公務員だったけど、試験に受かって地方公務員になった。

 

大学の受験勉強のしすぎで盲腸になり、

胃を手術したこともある。

 

とても頑張り屋さんだ。

父は盲腸で手術したことを挫折というけど、

命に別状はなかったのだし、多少大学のスタートには乗り遅れたかもしれないけど、

全然挫折じゃなくて、頑張った結果なのだと思っている。

 

子どもながらER見るのって、内容が内容だし、

ませてるなぁと思う。

 

また、母が不器用で、私の髪の毛をあまりくくってくれなかった。

なので、私はNHKの子ども番組

「ひとりでできるもん」で

三つ編みのやり方や靴紐の結び方を覚えて、

それを実践して、登園していた。

 

「ひとりでできるもん」には随分お世話になったように思う。雑誌も買ったりしていた。

 

三つ編みで登園すると、髪型を幼稚園の先生に褒められた。

 

幼稚園は、好きだった

私立の幼稚園なので、イベントごとが、ダイナミックで派手だと思った。

園長先生が鬼に扮して、

園長先生に向かって豆を投げたり、

ボディペインティングの水遊びがあったり、

小麦粉と絵の具を混ぜて、身体にぬりたくって遊ぶ。もちろん水着着用。

 

文化祭もビデオもあるし、衣装があって、

しっかりした、生活発表会だった。

先生方は大変だったであろう。

 

劇では、白雪姫があって、外国とハーフの子どもが白雪姫だったので、ディズニーらしく、

リアルで可愛かった。

王子様役も背が高くてハンサムな男の子だった。

 

私の役はというと、毒林檎を白雪姫に食べさせる魔女の役。くじ引きで決まったのだけど悪役だった。

 

まだ、小人とか、森の動物達のほうがまだマシだなーと思う。

 

あとは、バスで行く親子遠足があった。

科学館や遊園地に行った。

 

家が自営業だったし、父も単身赴任をしてたので、なかなかレジャー施設には行けず、貴重な経験だったと思う。

 

家庭でつくる、お弁当は、週に一度だけで

あとは、園のお弁当。

ミートボールが多かったように思う。

 

母が手作りのお弁当には、必ず、お手紙をいれてくれていた。

 

土曜日の登園日も、まだ、週休二日制じゃなかったから、普通にあって、それは、祖父や単身赴任から帰った父が送り迎えをしてくれていた。

 

金土日しか、父といられないので、父といられる日は幸せで、安心した。

 

母も心が安定しているようだった。

 

祖父のことも、私は子どもの頃、母を責める悪者と思ってなくて、むしろ好きだったし、

 

帰りに喫茶店へ寄って、バニラアイスを食べさせてくれることがあったりして嬉しかった。

 

バニラアイスは、昔ながらの丸いバニラアイスにウエハースがのっているものだ。

 

その他にメロンクリームソーダも飲んだ。

赤い缶詰のチェリーがのっていた。

 

 

 

仲の良い友達は、幼馴染で、実家は病院の男の子。や、お父さんが警察官でその子も婦人警官を目指す、女の子。おっとりした女の子、活発な女の子、いろいろ仲良く遊んだ。

 

バレンタインも、手作りしたり、幼馴染や、アトピーでチョコが食べられないけど、子どもながらに知らなくてそういう子にあげたりした。

 

そしたら、チョコは食べられないけど、グミなら食べられるからって、お返しにキティちゃんのグミをもらった。

 

今思えば、なんでその子だったのかなぁ?と思う。

 

幼稚園時代の友達とは、中学校に上がるくらいまで、年賀状のやりとりが続いていたけど、その子も引越しが多い子で次第に疎遠になった。

 

先生にも気に入られて楽しい幼稚園生活で、

卒園式は、校区の公立小学校に行くと、先生や友達とみんな離れ離れで、ばらばらになるから嫌だった。大泣きした。

 

先生も明るくて活発な良い先生だった。

 

小学校に上がってもしばらくは、幼稚園に遊びに行っていたけど、次第に行かなくなった。

これが成長というやつだろう。 

 

延長保育は、お菓子がでるから、お菓子が食べたくて、延長保育、お母さんが申し込んでる。っていったこともあって、自分でも、なんて食い意地はっている嘘だって思う。

 

家に帰っても、母と祖父が喧嘩していたり、

厳しくも優しい曽祖母がいるから子どもながらに家に帰りたくなかったのかもしれない。

 

曽祖母にはよく懐いていたので、早起きして、塩おにぎりを作って食べさせてもらったりした。

 

曽祖母は、手を洗って、手のひらに塩を塗り込んで、塩おにぎりを作る。

 

幼稚園時代、友達は皆隣の市だし、自営業もやってるので、あまり遊ぶことがなかった。

 

姉とも、小学校の高学年で塾通いに忙しくしていたので、あまり遊ばなかった。

 

同年代との子どもとは、休日は遊ばず、友達との思い出は園以外ではあまりないので、

少し寂しい子ども時代を過ごしたかもしれない。

 

Ruriha