母方の祖母のこと
よく母に
「私は亡くなった母方の祖母の生まれ変わり」
だといわれる。
それは、祖母が亡くなる時、私が母のお腹の中に居たから。
祖母は私が生まれる前の年
1993年の12月23日に胃がんで56歳で永眠した。
クリスマスイブの前日でクリスマスは、祖母の通夜、葬式になってしまっていた。
辛い抗がん剤治療にも耐えて、母の妹の叔母が東京で購入してきたウィッグもとても良く似合ってたそう。
治療方針について、
家族、特に祖父は、祖母に元気になってほしかったから病気、癌を治癒したかったので医療のお金や薬、栄養剤なんかを惜しまず与えており、入退院を繰り返していた。
祖母はグルメだったから、家ではカレーやハンバーグ、ラーメンなどを思う存分食べていたらしい。
私の姉の幼稚園の敬老の集まりにも頑張って参加した。
しかし、亡くなった後、枕元から、ホスピス病院の連絡先が書かれたメモがでてきた。仲の良かった看護師だけが知り得ていたらしい。
その仲の良い看護師も、のちに癌となった。
入院中も個室に入院して化粧も欠かさず、身支度を綺麗に整えていたという。
それはそれは、綺麗な祖母で、西洋の文化が好きでお洒落で美人だった祖母。
美人だけど、傲慢ではなく、行動的で勝ち気でさっぱりした性格だったので、周りからも愛されたそうだ。
私は遺影写真の祖母しか知らない。
遺影の写真は、少しオードリーヘップバーンに似ている。
手先が器用で木彫りや刺繍、料理やお菓子作りなどを楽しみ、気が強く、少しお金の使い方も荒かったそうだ。
教員だった祖父の給料で、当時6歳くらいだった姉の靴をデパートに行ってミキハウスのキッズシューズをお店でシューズラック一段分購入したそうだ。
祖父は給料が目減りしていることは分かっていたが祖父自身がものすごく頼み込んで結婚してもらった人だっただけにお金の使い方に対して何も言わなかった。
あなたと結婚できなければ死ぬといったそうだ。
重たい愛だなと思うこともあるけど、それくらい好きで一緒になりたいと思ったのだなと思った。
けれど覚悟がないと言えないことなので、祖父はある意味すごい。決して軽々しく言ってはいけないと思う。
昭和時代だから、男はお金を稼いで、女は家を守るって思っていたのだと思うし、祖父の母とも同居しており、気の強い人だったので、祖母の心労も配慮してのことであろう。
今思えば本当にすごいし、そんなお金の使い方は到底できっこない(子どもは成長が早いから、同じサイズばかりあっても困るだろうに)
けど、怒るととても怖い祖母だったそうで母は長女なので幼少期、辛い思いをしたそうだ。
祖母も曽祖母が長生きだったので、祖母なりの生活の苦労もあって、お金を使うことで発散していたのだと思う。
その他にも洋菓子を上手くつくれるまでたくさん作ったり、フランス料理を習ったり
(祖父は好き嫌いが多くお肉は苦手なのであまり披露する機会はなかった)
祖父の体質は、お肉(特に牛肉)を食べるとお腹がゆるくなる体質だから肉を嫌っていた。
お肉の脂肪分を胃の中で分解するときに、胆汁が出過ぎてお腹が痛くなるらしい。
ちなみにその体質は、母も私も姉も遺伝していて、お肉は、むしろ好きだがあまり牛肉は進んで食べない。
肉屋さんでお肉を何キロも買ってきて、元気の出ないとき、落ち込んでいた時は、お肉を食べていたそうだ。
ちなみに、お肉を食べることは、活力を見出せて、科学的根拠があるそう。セロトニンという幸せホルモンが出るから。
ネットも無い、
昭和中期か後期くらいの時代だと思うが、
通販や店に電話していろいろお取り寄せしたり
趣味の道具を購入していた祖母は凄いし
幸せだったと思う。
そんな祖母を曽祖母はあまり良くは思ってなかったそう。
何処の世にも嫁姑問題ってあるもんだけど、祖父が祖母の肩を持っていてくれただけまだよかったのかな。
今は、長年ヤモメといって独り身だった祖父も亡くなったけど、現世で犯した過ちを祖母に叱られたり逆に褒められたり、仲良くやってるといいなと思う。
ちなみに、うちの家には、ランタナの花があって、ランタナの花にアゲハ蝶や、アオスジアゲハ、カラスアゲハなどの蝶々がたくさん来る🦋
中でも綺麗なアオスジアゲハは、私の中での祖母の象徴で祖母の生まれ変わり。
虫は得意じゃないけど、蝶々だけは、昔から大切にしている。
Ruriha